fishtail2017 ~遠くても…空とこの道出会う場所へ~

主にツーリングや日々想う事などを書いてゆきます

(初)北海道ツーリング1994 2日目 北海道上陸~国設白金野営場

1994年7月某日、いよいよ北海道初上陸です!!

が、この瞬間の事は全く覚えていません。

恐らくは、慣れないフェリーからの下船では、周囲のライダーは皆慣れた素振りで

出発準備を進める中、焦りながら準備をして、凸凹の床にビビりながら何とか無事

に下船したんだろうけども。

 

 さて、多くが残っている写真と僅かな記憶からの推測する上陸初日のルートが下図

になります。

①.苫小牧フェリーターミナルを出発して国道234号を北上

②.由仁町あたりで国道452号で夕張市

③.道端の農家で夕張メロンを売る露店で実家にメロンを送る

④.国道452号をさらに進み三段の滝へ

⑤.富良野・美瑛辺りから国設白金野営場

苫小牧の到着が11時~11時半の間で、白金野営場?には夕暮れ辺りの記憶も

有るし早めだった気もするし・・・

f:id:fishtail2017:20200413203647j:plain

ツーリング2日目、上陸初日のルート

 ①~④は多少の細かい道は違う(※1)可能性は在りますが大きくは外して無い

と思います。しかし⑤は最初の宿泊地として「かなやま湖畔キャンプ場」が初日で、

白金野営場は2泊目の可能性も有ります。

 

写真のネガが見つかる or S・Hさんの記憶が確かならハッキリするのですが・・・

f:id:fishtail2017:20200413204417j:plain

もう少し引いた絵だとこんな感じです

夕張ではS・Hさんが露店(当時分かってなかったですが、農家さんが自分で売っていたのだと思います)で夕張メロンを土産に送ろう、という事で俺も送ることにします。

当時はまだ夕張メロンは高級品(今よりもっと)で、一番良いのを2玉1万円を超える物を送った記憶が有ります(毎年お盆には実家に帰っていたのでが、今年は北海道ツーリングに休みを割くために帰省できない、という後ろめたさを補う意味も有り)。

自分では食べてないので(味見はしたんだろうけど)どんだけの味がしたんだろう。

 

土産(夕張メロン)を送り一つ用事を済ませ、義務感が一つ減り気が楽になりました。

夕張と言えばもう一つ「幸福の黄色いハンカチ」の撮影地?にも行ったと思います。

当時ですら「昔の映画」という気がしていましたが1977年かぁ、当時から

17年前、20代の若かった俺からすれば確かに昔に感じる年数ですね(※2)

俺よりもS・Hさんが行きたかったのか、話題に出たからという余り積極的に行く

というモチベーションでも無かったような。。。映画自体はいい作品とは思いますが。

 

さて、問題はこの後です。

国道452号がこの先、結構な距離ダートだったのです!!!

想定よりも1時間~2時間は遅れたのではないでしょうか。

彼方此方で工事をしており(多分舗装工事だったのでしょう)、下の写真の様に

まだ浅い砂利は良いのですが、工事区間では深砂利を撒いており、そもそもダート

なんて走った事のない俺には試練でしかなかった。

f:id:fishtail2017:20200413210815j:plain

452号はまさかのダートでした、3桁国道とは言え。。。。

この数年後には、ワイドグライドの様なFX系のハーレーはリアタイヤで走る感覚

があるので、国産オンロードよりはダートを苦にしななくなっていました。

この頃の無茶な走りが負荷を与えて、2018年の故障に繋がったのか???

 

f:id:fishtail2017:20200413231416j:plain

この辺りの写真の順序は実際と異なっている可能性大です

 

f:id:fishtail2017:20200413231521j:plain

この写真で夕張~富良野の間は452号経由したのが判明しました!

この後数年経過して知った事ですが、1990年代前半には北海道では多くの道が

開通していなかったり、ダートだったりしていました。

1998年の後輩K5といった北海道ツーリングは秘湯を求めて、トータル100キロ

位ダートを走りました。北海道も90年代から大きく変わりました。


何とか砂煙で真っ白になりながらも、今日のキャンプ地の白金野営場に到着し

木立の中にテントを張り(正直、あまり良いキャンプ地と感じなかった気がします)、

近くの宿で日帰り入浴をしたと思われます。

夕食をどうしたのかは、全く記憶なし!!

 

今日は北海道に上陸したこと、ダートを走った、それだけで一杯一杯の一日だった

のでしょう。


※1:そもそも、GoogleMapは現在の道なので当時無かった道を選択している

   可能性も大です。

※2:俺らの世代って(俺らって年齢も公表してないのに)日本の音楽や映画などを

   あえて評価してない風潮でしたね。素直に触れれば良いと思いつつ、周りも

   そんな風だから粋がって避けていたような。そんな青さが抜けない年齢でした。

 

それでは!

 

翌日3日目の記事はこちら

fishtail2017.hatenablog.com

 

(初)北海道ツーリング1994 1日目の記事はこちら

fishtail2017.hatenablog.com