今日(2020年の執筆当日)は、白井貴子さんの1980年代後半の頃のYoutube動画(オフィシャルではないのでリンクは貼りませんが)を観ていたりしてました。
1986年の秋、地元にある大学の学園祭に白井貴子さんが来るというので友人に誘われたのに行かなかったのを思い出します、痛恨の判断ミスを悔やみきれません...
今年2月の尾道でのライブでも仰ってましたが、是非バンドでのステージを待っています!できれば、ガラスの天井を歌っていただきたい!
白井貴子さんオフィシャルサイト(TAKAKO SHIRAI THE PEACE ON EARTH)
さて、世の中少しは先が見えてきたカナ?という時期ではありますね。
ここ2ヶ月はテレワークで会社への通勤無く仕事をしておりましたが、
意外と行かなくても出来るじゃん(でも集中力とか保つのはしんどかったり)、
もう慣れたというか、今後元に戻って週5日通勤するのは正直しんどい、とか。
私的には実家の事で大量の荷物を抱え込んで、写真などをの整理は今年一年はかかるなー、せっかく家にいるので仕事の合間に色々と出来る事なー、とか思案&実行開始したりしてました。
また、浜田省吾さんのファンクラブ限定ツアーの発表が有ったり、嬉しいですが状況次第では当然有るわけで、、、色々とある期間を過ごしてました。
浜田省吾さんオフィシャルサイト(SHOGO HAMADA OFFICIAL WEB SITE )
気付けば、またもや1ケ月近く更新が滞っていました、大変申し訳ございません(笑)
前置き長くなりましたが、前日記事に続いて4日目から再開です。
しかしながら、この4日目、ほとんど記憶に残っていませんが、進めましょう。
当日のルートは恐らく
①かなやま湖畔キャンプ場を出発して国道38号で帯広へ
②帯広の街中で豚丼を食べる
③三国峠ごえ
④層雲峡オートキャンプ場へ(当時の名称は違うと思います)
前夜のかなやま湖では心配した野外ステージは夜早々には静かになったのですが、
夜遅くに到着した(都会や富良野から近いためと思いますが)車でのグループが
近くにテント設営を始めたりで寝込むのは遅くなったと思います。
俺は焚火はしないのであまり気に留める事は無い(でも匂いが残っているのは気になりますね)ですが、当時のキャンプ場はあまり直火禁止とかのルールは無かったような気がします。
かなやま湖を出発して帯広(帯広へ向かったのは95年かもしれませんが、行ったことにして話を進めましょう)に向けて国道38号で狩勝峠を抜けますが、霧と渋滞(当時は高速道路なんて無い割には交通量は多かったと思います)で、トラックの排ガスにまみれ涙目になりながら何とか峠越えしました。
また、ひと山越えた事でこんなにも気温が違うのかとも。
何とか帯広に到着しました!
しかし、当時の俺らはあまり事前調査が甘く(ネットも無い時代ですから普通だった)
適当に「豚丼」の看板が出ているお店(喫茶店のような雰囲気の)に入ったのですが、
特に感動もなく残念な記憶だけが残りました。
そもそも、帯広の名物が豚丼というのも知らずに帯広入りした様な気もします、数年後に「ぱんちょう」に出会い、当時を反省した事からこの記憶が残る事となります。
残念な昼食終わった帯広を後にして、三国峠へ!
なぜ何もないこの場で止まって写真を撮ったのか理解に苦しみますが、、、
当時は周りの白樺の木が綺麗で自分的にはこれを写真に撮りたいと思い、S・Hさんに合図を送り止まった。いまこうして写真をみると、その思いは写真に反映されてないですね、、、
S・Hさんには「何もないこんなところで止まるんだ???」と言葉が有った様な気が、、、
すぐに霧は晴れたのでしょう
写真を観る限りこの場所は、三国峠の赤い大きな橋やトンネルが有る手前(帯広側)の、現在は三股山荘(下の写真、立派な北海道エゾ松のハンドカットのログハウス)が有る辺りでしょうね。
ドン曇り(雨よりはましですが)ではありますが、三国峠へ到着!
この後、記憶は定かではなく、写真が有るので層雲峡の銀河の滝・流星の滝を見学して、
本日の宿泊地、層雲峡オートキャンプ場へ到着したものと思います。
2017年もそうしたのですが、層雲峡の温泉街まで5キロ程度だったかでしたので、
テントを張った後夕食と風呂の為に温泉街まで出向いた記憶が有ります。
また、ちょうど祭りをやっていて、盛大に火(キャンプファイヤーのような大きな)を前にしてアイヌの伝統的な歌を歌っていたが微かな記憶としてあるのですが、
1995年には層雲峡の民宿に宿泊した記憶も有り、記憶が混ざっているかもしれません。
こうして、一日が過ぎてゆきました!
5日目の記事に続きます