9月の4連休後半を利用して久しぶりに地元に帰省してきました。
その③、3日目最終日になります。
窓際の席で朝食をとっていると、福山駅に115系湘南色が入線しました。
尾道方面に向けてすぐに出発するのだろうと思っていたのですが、5分程度止まったまま。
他の列車に抜かれるのを待っているのかと思いきや、岡山(上り方向)へ出発していきました。現在ほとんどの115系編成があのまっ黄色(正直あれは無いよなぁ)になってしまい、近い将来115系すべてが引退の時期が近づいていますので、見納めになるかもしれません。
先日より1980年代後半の鉄道写真を公開し始めましたが、当時は貨物列車やブルートレインは撮影するけど、115系なんてほとんど撮影していなかったですからねぇ~後の時代になって価値が変わるものです。
で、本日の予定はホテルをチェックアウト後、母親と合流して母の友人宅を訪問して
仙酔島に渡るのは5年ぶり以上でしょう。
そういえば、7月に来た時には平成いろは丸という観光用の船が有ったのですが....今日は姿が見えませんでした。
7月の時は、鞆の浦本土側で食事をしようとしたのですが、コロナ禍の緊張感が緩んだ
時期でお客は増えるが、お店側はそこまで客が増えると予想してなく、どこも混んで
いたり主要メニューが完売など、アンバランスに商機を逃した格好になっていました。
鞆の浦周辺での食事を断念しました。
今日の船は見ての通り、かなりくたびれた小型の船でした。失礼!
船内から弁天島を!
仙酔島の船着き場のある入江です
時間的には前後しますが、この建物がこれから食事をいただく国民宿舎 仙酔島 です
この浜は夏には海水浴場となり、父親の職場では毎年海の家の一区画を契約していた様で、国民宿舎に泊まって昼間は海の家に移動して海水浴を楽しんだ思い出の場所です。
国民宿舎 仙酔島は、船着き場から歩いて5分程度、反対側の浜に面しています
12時に予約していてぎりぎりに到着したので、すぐに食事で慌ただしいかと思いましたが、ご希望の時間に変更できますよといただき、12時半からにしていただきました。落ち着いていただくことが出来ます。
時間になり、まずはお刺身、左下は鯛の塩こうじ、左上は蝦蛄でした。
鞆の浦と言えば何と言っても「鯛」ですが、蝦蛄は海水浴で来た時には必ず買って帰る
ものでした。海水浴場の片隅に、小舟だったでしょうか、そこに海水を入れて金魚すくいならぬ蝦蛄釣りを子供相手にやっていました。
当時の蝦蛄は、今では考えられないくらい大きく、実がはちきれんばかりに詰まっていた絶品でした。
蝦蛄について熱弁しましたが、鞆の浦!何と言っても「鯛」です!
名前を聞いたのですが失念、マツタケの味がするキノコ、鱧などの炊き込みご飯です
これでお腹は満腹になってきていたのですが....
鯛の塩焼き、しんじょう、お椀
この鯛は脂が乗って美味しいかったぁ~
最後に栗、アイスクリームで〆
お部屋は11時~15時まで自由に使える(言い忘れましたが部屋食です)、
お風呂も1階の大浴場が使えて、のんびり過ごすには最高でした。
お風呂いただいて15時に出発します。
こちらは、国民宿舎の食堂、お邪魔した当日現在は部屋食のプランのみ提供中
でしたが、通常であれば食事のみの利用も出来ます。
国民宿舎の浜辺の両側には遊歩道があります、海に向かって左側の遊歩道の方が距離は長いとおもいます(昔に比べて途中までになっている様ですが)
そのころにはあれだけ腹一杯食べたのに、関東までの新幹線を考えて、ココ壱番屋で
食べる事にしました。
このクオリティー以上に自分でも作れるので、酷く高く感じてしまいます。
作っていただくだけありがたいのですが....
久しぶりに公園まで登った福山城
この3日間、毎日綺麗に晴れ、熱くもなく、美味しいものも食べ、
そして逢いたい人に逢え、
幸せな時間でした。
それでは!
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